「同窓会がある」と言われると、「かつての級友に会うことができるなんて楽しみ!」と純粋な気持ちで参加をしたいと思うものですが、実際にはいろいろと辛い現実もあるようです。
楽しみにしていた同窓会で、嫌な気分になって帰ってきた...という人も少なくないそう。
せっかくの同窓会なのに、そういった現実があるのは辛いことですよね。
良くも悪くも、人間模様が見えやすい同窓会
同じ学校、同じ教室にいる学生同士という関係なら、そこで人生に大きな違いはなかったはずです。
同じ場所で同じものをみている関係に、そんなに大きな違いは生まれません。
でも、そこから一歩出て社会人となってしまった今、人生には大きな違いが出ていることもあります。
あまり考えたくありませんが、そういった残酷な一面も同窓会には存在していて、それで辛い思いをしてしまった・苦い思いをしたという人もいるのです。
同窓会とは、そういった現実を目の当たりにする場所でもあるということを忘れてはいけません。
公立学校の現実
小学校や中学校にいるときは気づかなくても、公立の学校というのは色々な家庭の子供がいるものです。
同じ地域に住んでいていても、裕福な家もあればそうではない家もある...子供同士は気づかなくても、そこには格差が存在します。
それが、同窓会で再会した時に見えやすくなる、というのよく言われていますね。
大学を出て華々しく大企業に就職した子もいれば、フリーターでという人もいます。
両者であって、話が合うでしょうか?もちろんフリーターが悪いというわけでもなく、大企業に入ることがすべてとも限りません。
ただ、こういった違いが出てしまうことで、両者が気まずい思いをすることもあるというのは現実としてあります。
大人になると、見なくても良かったものが見える様になる。
悲しいことですよね。
結果的に、昔話ばかりをすることになる
女性であっても、30歳を過ぎてからだと「結婚」「出産」などの話題は出しにくくなるもの。
かといって、仕事の話をしても出世の話になる。
仕事の話題だと、つい今の自分の役職の話になりがちなので、それが自然と出世の話に結びついてしまうのですよね。意識しなくても、そうなってしまいます。
それは嫌味になるし...と思って話す内容を模索していると、結局は「昔の話し」をするしかありません。
確かに昔の話は楽しいですが、そればかりでつなぐというのも限界があるのも事実。
気を使って、話したいことがなかなか話せないという関係も、少し窮屈ですよね。
かつて、気のおけない友人だった相手に、そうやって気を使ってしまうということも、同窓会の悲しい現実です。
誰かと自分を比べないことが大事
同窓会にいったあと、「向こうは華々しくやっているのに自分は...」と情けない気持ちになってしまう人もいる、ということはよく聞きます。
でも、誰かと比べて羨んだところで、自分の人生が良くなるわけではありません。
誰かと比べてどう、ではなく「自分は自分でいい」と割り切ることも大事なのではないでしょうか。
うらやんでいる相手にだって、きっとなにかしらの悩みがあるはずですよね。
その悩みも知らないまま、「羨ましい」などと言ってしまうことも、なんだか違うような気がしてなりません。
かつての同級生がどうであっても、自分の価値が変わることはない。
そういう気持ちで、参加をされることはとても大切なことです。
せっかくの同窓会で、辛い気持ちになってしまうというならそれはとても残念なことです。