同窓会を何度も繰り返して、お互い年齢を重ねていくと、やはり「物故者」が出てくることがあります。
「物故者」。
聞きなれない言葉ですが、これは「亡くなった人」のことを言います。
中高年以降の同窓会になると、かつてのクラスメイトの中に物故者が出てくる可能性もあるのです。
年齢を重ねるということ
年齢を重ねるということは、いいことばかりではありません。
としをとるにつれて病気になることもあるし、そうじゃなくても弱いところがあちこちでてきます。
自分が中高年になると、そろそろ親が弱ってきた...ということもありますよね。
同窓会というのは、そうやって「人生の変化をみるもの」でもあります。
物故者もそのひとつ。長い年月の中で同窓会を繰り返していれば、亡くなる旧友がでてくることもあるでしょう。
かなしいことですが、それは現実として受け止めて前に進まなければなりません。
当日に幹事から物故者の知らせがあります
同窓会では、出席者がそろったあとに幹事が挨拶などをします。
そのときに、物故者となってしまったクラスメイトがいれば、そのことを知らせてくれるはず。
そして、黙とうをささげることが一般的です。
物故者となった方の生を読み上げたあとに、一分間の黙とうをささげることになりますので、幹事の指示にしたがいましょう。
黙とうは、目を閉じても閉じなくてもいいので、胸の中で故人をしのぶことが大切です。
特に、年齢を重ねてからの同窓会ではこういったこともありますので、突然の知らせであっても幹事の指示に従って黙とうをささげましょう。
同窓会の中には、事前に物故者がいれば通知で教えてくれることもあるそうですが、当日の知らせであることも多い様です。
そのあとは、同窓会を楽しみましょう
物故者がいるのはとても残念なこと。
けれど、その悲しみを引きずって同窓会を続けるのではなく、楽しみましょう。
この時に、物故者との思い出をかたりあうことは「偲ぶ」ということにもつながります。
亡くなった人のことを供養する時、大切なのは「忘れないこと」。
だからこそ、その場で話題に出してあげることも供養のひとつになります。
もしかすると、亡くなった人もその場にきて、みんなが楽しんでいる様子を眺めているかもしれません。
そういうことに思いを馳せながら、同窓会を楽しみましょう。
そして、故人のことはいい思い出として、たまに思い出してあげるということも大切なことです。
亡くなったとしても、その人が同じ教室で学んだ仲間であったことは何も変わりませんものね。
同窓会を続けているうちに、いろいろなことがある
この「物故者」もそうですが、同窓会を何度かくりかえすとその人の変化が見える様になります。
若いときはみんな同じだったのに、年齢を重ねるとだんだんいろいろなことが違ってくる。
そういった人間模様が見えることも、同窓会というもの。
かつての級友がどう生きているのかを確認して、また次の同窓会を待つというのも素敵なことではないでしょうか。
「お互い元気にやろう」と約束して、また同窓会で再会する時のために健康でいられる努力をすること。そういうことがあれば、同窓会をやる意味も際立つのかもしれません。
「生きていればいろいろなことがある」と解らせてくれるのも、同窓会というものです。